NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が2021年1月スタートし、連日、注目されています。
さて、本作は、北条義時を主人公に、鎌倉時代を描いていく内容ですが、北条氏といえば、もう1人忘れてはならない重要人物がいました。
それが北条義時の姉である北条政子です。
将軍レベルの存在感によって、尼将軍とまで呼ばれていた、北条政子。
そんな北条政子は、名言演説によって歴史に名前を残すことになったのでした。
では、北条政子は、どうしてこのような演説をしたというのでしょうか。
ここでは、北条政子の名言演説をかんたんに解説し、彼女が実現したかったことを見ていきたいと思います。
それでは、さっそく、ご覧ください。
北条政子のプロフィール
北条政子は、1157年生まれ。
鎌倉幕府の初代執権の北条時政の娘であり、第2代執権の北条義時の姉であり、そして初代将軍の源頼朝の妻です。
なお、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』においては、主人公の北条義時役は小栗旬さん、北条政子役は小池栄子さんが、それぞれ演じていました。
北条政子は、結婚した源頼朝が鎌倉幕府の将軍になったことによって、御台所と称されるようになり、おおきな影響力を発揮していくことになります。
そして源頼朝が亡くなると、出家して、以後、尼御台と呼ばれるようになったのでした。
が、源頼朝の後継の将軍になった長男の源頼家は暗愚だったため、追放。
さらに父親で執権の北条時政も謀反を企てたため追放し、次男の源実朝を将軍とし、弟の北条義時といっしょになって、鎌倉幕府の実力者となったのです。
しかし源実朝が暗殺されてしまったため、幼い藤原頼経を将軍にして、事実上の将軍として尼将軍と称されるようになったのでした。
そして北条政子は、1225年8月16日、亡くなったのです。
まさに、武家たちの社会を築き上げた激動の生涯でした。
北条政子はなぜ演説したのか
冒頭でご説明しましたように、北条政子は、名言演説を行い、このことによって有名になっています。
それでは、北条政子は、どうしてこのような演説をしたというのでしょうか。
名言演説の内容は次で取り上げますが、この背景には鎌倉幕府と朝廷の微妙な関係がありました。
第3代将軍の源実朝が生きていたころは、源実朝と後鳥羽上皇の関係がよかったため、鎌倉幕府と朝廷もうまくいっていたのです。
ところが源実朝が暗殺されてしまったこともあり、後鳥羽上皇は倒幕に動き、京都守護の伊賀光季を倒して挙兵。
このようにして承久の乱が勃発したのでした。
しかも、後鳥羽上皇は、北条義時追討の院宣を発布し、鎌倉幕府に全面的に戦いを挑んだのです。
もっとも、北条政子は、動揺する鎌倉幕府の御家人たちに対して、士気を高めるため、名言演説を行なったのでした。
そして戦いの結果は、北条義時率いる鎌倉幕府軍の勝利となって、後鳥羽上皇、土御門上皇、順徳上皇は配流、仲恭天皇は廃位となり、鎌倉幕府の影響力は全国に及ぶことになったのです。
北条政子の名言演説を簡単に解説
続いては、そんな北条政子の名言演説の内容を見ていきましょう。
北条政子は、後鳥羽上皇挙兵で動揺していた鎌倉幕府の御家人たちに向かって、最期の言葉と称して演説しています。
源頼朝の恩は山よりも高く、海よりも深いということ。
後鳥羽上皇の側近を倒して、源実朝の遺跡をまっとうしろということ。
そして、後鳥羽上皇の方につきたい者は直ちに申し出て行けということでした。
これでは、鎌倉幕府の御家人たちの士気が上がって、承久の乱が鎌倉幕府の勝利につながったこともよく分かりますね。
北条政子の実現したかったこと
それでは、このような名言演説をした北条政子は、いったい、どのようなことを実現したかったというのでしょうか。
北条政子は、当時、まだ伊豆の下級役人にすぎなかった北条時政の娘として生まれたものの、おなじく流人だった源頼朝の妻となり、その後、父親が執権、夫が将軍となって、大出世を遂げることになりました。
それだけではなく、日本初の本格的な武家政権の樹立にも尽力したのです。
そのため、武家たちの北条政子への信頼はあつく、逆に、北条政子も、武家たちの社会を朝廷による攻撃から守ろうとしたのでした。
結果的に、これは見事に実現されましたので、北条政子のすごさをあらためて思い知らされるというものでしょう。
ということで、今回は、鎌倉時代の最高実力者の1人であった北条政子について、ピックアップしてきました。
将軍はおろか執権でもなかったのに、事実上の将軍として尼将軍と呼ばれて君臨していた、北条政子。
そんな北条政子の名言演説の内容、経緯、彼女が実現したかったことも、とても深いものでしたね。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』においては、小栗旬さん演じる主人公の北条義時もさることながら、小池栄子さん演じる北条政子からも俄然、目が離せなくなりそうです。