今回は、西田藍さんについて、ご紹介していきたいと思います。
本業はアイドルで、ほかにも、モデル、さらには、エッセイスト、ライター、書評家といった広範囲で活躍していたという、西田藍さん。
とても興味深い経歴だけに、どういう人物だったというのか、知りたいものですよね。
そこで、西田藍さんのプロフィールや学歴をさっそく、見てみましょう。
また、西田藍さんの執筆したエッセイ、出演したテレビ番組についても、調べてみました。
一方、西田藍さんは、なんと、ひきこもっていたこともあったといいますから、ひきこもりエピソードについても、確認していきましょう。
西田藍の経歴
西田藍さんは、1991年10月20日、熊本県の出身で、2021年1月現在の年齢は、29歳となっています。
とはいえ、画像を見た限りでは、とてもアラサーには見えないような美貌の持ち主なのでした。
西田藍さんは、父親がアメリカ人、母親が日本人というハーフです。
ミドルネームは「シャーロット」。
どこか日本人離れした感じの美人ですから、こう聞けば納得ではないでしょうか。
趣味は読書で、なかでもSF好きとして知られていました。
2013年には、日本SF大会に出演してもいます。
フィリップ・K・ディックさん、筒井康隆さん、トルーマン・カポーティさん、フランツ・カフカさん、林芙美子さん、津原泰水さん、伊藤計劃さんといった作家のファンで、ほか、漫画家では、吾妻ひでおさん、高橋葉介さん、高野文子さんのファンとのこと。
また、自身とおなじアイドルも好きで、とくにモーニング娘。や、その元メンバーだった道重さゆみさんが好きなのでした。
なお、道重さゆみさんについては、自分を救った本の1冊として、道重さゆみさんの写真集『20歳7月13日』を挙げているほど、大ファンだったといいますから、おどろきですね。
そんな西田藍さんは、2012年、ミスiD2013において、ミスiDに選出されたことによって、アイドルをメインに、芸能活動を本格化させていきました。
もっとも、2014年には、『サイゾー』において、コラムの「西田藍のアイドル的“制服“偏愛論」を連載していき、ライターとしても活躍していきます。
同年には、『ダ・ヴィンチ』においても、「絶対読んで得する14冊 7人のブックウォッチャー」も連載していきました。
一方、アイドル、モデル活動も、もちろん充実しており、TOKYO IDOL FESTIVAL2014に出演したほか、『SFマガジン』のカバーガールを務め、表紙グラビアになるなどしたのです。
2015年には、この『SFマガジン』において、「にゅうもん! 西田藍の海外SF再入門」の連載も始めていきます。
そんな西田藍さんのおもな執筆歴には、トルーマン・カポーティさんの『誕生日の子どもたち』、東野圭吾さんの『どちらかが彼女を殺した』といった作品の書評などがありました。
ほか、西田藍さんは、エッセイも複数発表していますが、こちらは後で見てまいりましょう。
西田藍の学歴
それでは、西田藍さんの学歴は、どのようなものだったのでしょうか。
調べてみましたが、残念ながら、具体的な学校名までは分かりませんでした。
もっとも、西田藍さんは、高校を中退しており、その後、大学には進学していないとのこと。
そのため、西田藍さんの最終学歴は、高校中退ということになります。
ミスiDに選出されたときには、もう高校中退でしたから、通っていた高校は熊本県内の学校だった可能性が高いのではないでしょうか。
いずれ、くわしいことが明らかになってくればいいですね。
西田藍の執筆したエッセイや出演テレビ番組一覧
続いては、西田藍さんが執筆してきたエッセイについても、確認してまいりましょう。
こちらは、文學界に2013年に掲載された「ギャツビーがすきだけどきらいなの」。
ユリイカに2013年に掲載された「遊覧しよう」。
西日本新聞に2014年に掲載された「許されていた場所」。
サイゾーに2014年に掲載された「西田藍のアイドル的“制服“偏愛論」など、多数。
一方、西田藍さんが出演してきたテレビ番組としては、『お・ま・た・せ ゲーム王 ~すごい奴がやってきたSP~』、『ニッポン戦後サブカルチャー史』、『緊急検証!時空の歩き方~時をかける人類~』、『鎧美女』、『ニュース女子』などといったものがありました。
西田藍のひきこもりエピソード
さて、そんな西田藍さんには、外見的に想像しにくいものの、ひきこもり時代もあったとか。
昔の西田藍さんは、そうとうなひきこもりだったといいます。
なんと、ミスiDに応募したのも、募集要項に、「ひきこもりでも大丈夫」とあったからとのこと。
あのルックスなら落選はありえないでしょうが、それにしても合格できてよかったですね。
西田藍さんは、ただのアイドルではなく、実に多様性のある存在だったのですね。
ひきこもりの過去にはおどろきましたが、成功できて幸いでした。
これからもさらにさまざまな活動で希望を届けてほしいですね。